SSブログ

葉公好竜(名を好んで実を好まない) [中国の寓話]

 yeryuu2a.jpg      
  楚の国の重臣である{葉公}はとても竜が好きだった。家の中の梁や柱には竜の彫刻が施され、客間や食堂などあらゆる所に竜の絵が張られ、特に寝室の壁には全面に竜の絵が描いてあり、「竜御殿」さながらだった。
  天上にいる本物の竜がこの話を聞きつけ天から降りてきて、{葉公}の家の窓から首を突っ込み、長い尾を客間から垂らしてあいさつした。

  するとあれほど竜が好きだった{葉公}は驚きあわて土気色の顔をして命からがら逃げ出した。

  要するに{葉公}が好きだったのは本物の竜ではなく、竜の絵や彫刻だったのだ。

  この話は「名を好んで実を好まない」の喩えで、見せ掛けだけで人の歓心を買おうとする輩を揶揄する話。

   春秋時代に編まれた逸話集の{新序儒書}から
nice!(0)  コメント(0) 

南轅北轍 [中国の寓話]

minamikutu1.jpg
  紀元前三世紀の戦国時代、太行山のふもとで一台の馬車が北に向かっていました。

通行人;「どこへ行くんだ?」
御者 ;「楚の国へ行くんだ」

  「楚の国は南だよ、どうして反対の北なんかへ行くんだ?」
  「これは優秀な馬だ、どう向かおうと必ず楚の国に行き着くんだよ」

  「いくら優れた馬でも方向が間違ってますよ」
  「心配ない。旅費はうんと有る」

  「お金の問題じゃないんです、楚の国へなんか行けませんよ」
  「そんなことないよ、私はプロの御者だよ心配するな!」と言って北へ走り去った。

  これは魏の大臣である李梁が魏王に献策した時の話。

  要するに魏王が天下を取るに強大な楚国と戦わねばならないのに、弱小国の趙国を打とうと策を練っているのを戒めて、そんな事をしていれば、ますます楚国からへ離れていくと馬車の話を持ち出したもの。

  結局、大臣の李梁の献策を受け入れ趙国との戦いを中止した。

{戦国策 魏策}より
nice!(0)  コメント(0) 

「盤古」天地を開く (中国の寓話) [中国の寓話]

banko2.jpg                         
  昔むかし大昔、宇宙は混沌としていて物の見分けができなくて、ただ大きなたまごのようだった。「盤古」はこの混沌のたまごの中に生きていた。

  後に、「盤古」が動くたびにたまごが分化しはじめ、軽いものは上に浮き上がり{天}となり、重いものは下に沈み{地}となった。

  天は毎日一丈づつ高くなり、地も毎日一丈づつ厚くなっていった。「盤古」の体もそれにつれて大きくなっていった。こうして1万8千年が経ち、天と地の間が9万里にも広がり、「盤古」の体も9万里の巨人に成長した。

  寿命が尽きて「盤古」が死ぬ時、その息は風と雲に変わり、声は雷鳴に、左の眼は太陽に、右の眼は月に変わった。

  頭と四肢は大きな山となり、血は紅い河となり、肉は田畑となり、頭髪と眉は星となり、毛は草木となり、汗は雨露となり、骨は岩や石となり、精神は鳥獣魚虫のたましいになり……、

  要するに天地間の万物はすべて「盤古」の体から作られたものとなった。「盤古」は自身の一切を投げ打ち、この美しい天地を創造したのであった。
                                    {芸文類聚}より
nice!(0)  コメント(0) 

抜苗助長 [中国の寓話]

naenobasu.jpg                           
  宋国のある男が、畑の苗の生長がゆっくりしているのが気にくわず、少し上に持ち上げて高くした。欲張って全部の苗を持ち上げたのでとても疲れた。

  家に帰り家族に:「今日はくたくたに疲れた。でも苗を持ち上げたのでとても生長したよ!」と自慢した。変に思った息子が慌てて畑に駆けつけると、畑一面の苗がことごとく葉が垂れ、茎が曲がりしおれていた。

  世の中には、この宋国の男のように苗を引っ張って生長させようとする人が少なくない。また、生長に無関心な人は、逆に草取りなどしないで打っちゃっておく。

  これは両方とも「培い養う」事をしないので苗を害するものだ。普通この話は「功を焦って方法を誤る」との教訓話で終わるのだが、背景を書くと……、

  この話は「公孫丑」が「孟子」に{浩然の気}について質問した答えの中で出てくる寓話で、{浩然の気}とは手助けしたり、安直に出てくるものではなく「培い養うことの積み重ねの中から自然に出てくるものだ」と述べたもの。

  なお、広辞苑によると{浩然の気}とは「天地に満ち満ちてある大きな精気とか、物事から解放されて伸びのびした心持ち」とある。

  {孟子 公孫丑上}より
nice!(0)  コメント(0) 

「我不見了」 わしはいったいどこに行った?! [中国の寓話]

  ある小役人は、犯罪を犯した和尚を遠くに護送するため一緒の宿に泊まった。hageatamaa.jpg
  和尚は自分が金を出し、たくみに小役人に酒をすすめ、小役人は酩酊大酔してしまった。

  小役人が寝ている間に和尚は小役人の頭をそっくり剃り、逃亡してしまった。

  朝、目が醒めた小役人は必死で和尚を探したが見つからず、ふと自分の頭に手をやった時、すっかり剃り上がっているのを発見した。

  「おかしいな、和尚はここにいるのに、わしはいったいどこへ行ってしまったんだろう?」と合点がいかず、いつまでも頭を撫でてばかりいた。

{笑賛}より

強取人衣 [中国の寓話]

  宋の国に{澄子}という名前の男がいた。ある時、彼は一着の黒い服を失くしたのに気がついた。rosi1a.jpg
それであちこち探したが見つからず、もしや道で落したかも、と道路に出て探しにかかった。

  その時、一人の女性が黒い服を着てやってきた。彼はすかさず彼女を捕まえ;「わしが失くした黒い服だ、早く脱いで返せ」と言った。

  驚いた女性は;「貴方が落とした服が黒い服であっても、これは私の黒い服だ!私が自分の手で縫った服だ」と拒んだ。

  男は;「早く私に渡した方がいいよ。私の失くしたのは厚い裏地のついた暖かい服だ。
  お前のは薄っぺらな単衣の服だ。私のと、お前のとを交換した方がお前にとっては得なのが分からないのか?」と言って奪っていった。

  (勝手な論理を振りかざし、悪を正当化する輩はいつの時代にもいるもの)

  {呂氏春秋 淫辞篇}より
  

呉越同舟 [中国の寓話]

goetu12a.jpg
  呉の国越の国は絶えず戦ってばかりいる宿敵同士であった。ある日、この両国の人が同じ船に乗り合わせた。当然の如くお互いそっぽを向いていたが、中流域にさしかかった時突然強風が吹き荒れあわや沈没しそうになった。
  
  事ここに至って両人とも恨みを忘れ、それぞれ右手と左手のように互いに助け合って急場をしのぎ、難を逃れた。これは「絶体絶命の死地においてはたとえ敵同士であっても団結し事に当たれ」とのたとえ話。

  この話は「孫子の兵法」にあり、兵を死地におけば、心を一つに固め強力な軍になる。「背水の陣」もまた同じ。写真は「呉越同舟」で遭難しかかった龍虎山の渓谷とされる場所。

  ついでに同じ「孫子の兵法」で兵士を「蛇のように使いこなせ」と言う「常山の蛇」がある。これは「常山」にいる蛇は、頭を叩くと尾で反撃し、尾を叩くと頭で反撃し、腹を叩くと頭と尾で反撃してくる。兵士をこのように訓練しろと言う。このくだりを読むとなぜかジャッキーチェンを思い出してしかたがない。

  {孫子}より
    

2013-02-24 [中国の寓話]

精衛鎮海 (中国の寓話)seiei.jpg

 発鳩山には枯れた木が山一面にびっしりとあった。そこに奇妙な鳥が一羽棲んでいた。形はカラスに似ていたが、頭には綺麗な花のような毛があり、くちばしは真っ白で足は赤く名前を「精衛」と言った。

 鳴く時はいつも「精衛、精衛」と自分の名をさえずっているのだった。

 精衛は元々は炎帝の子で「女娃」と言う名前だった。ある日、「女娃」は東海で泳いでいておぼれ、不幸にも帰らぬ人となったが鳥に生まれ変わった。

 その後、鳥になった「精衛」は、発鳩山の枯れ枝や小石をくわえ長年東海に運びつづけたお陰で東海は陸地に変わりおぼれる人は誰もいなくなった。

(これは深い仇をむくいること。或いは困難を恐れず最後まで頑張って目的を達成することのたとえ)

「精衛」とは古代中国の伝説中の小鳥の名前。

{述異記}より
     

2013-02-24 [暮らし]

suisenhaji.jpg
居眠りをして留守にしていたブログを再開します。
画像のUp方法を忘れてしまった。さてどうしょうか?

試しに、写真は畑の水仙。

2012-06-09 [中国の寓話]

ryuu.jpg                        上帝殺龍

   墨子が北辺の斉国に行く道で一人の占い師に出会った。

   占い師;「今日は神様が黒い龍を殺す準備をなさっておられる。貴方は黒い顔だから殺されるのでこれより北へ行っはなりません」。

   墨子は無視してなお北に行くと大きな川に阻まれて引き返してきた。
   占い師;「言った通りでしょう。殺されるから行けないんです」。

墨子が言う;
   「南の人が北へ行けず、北の人が南へ行けない。皮膚の色の黒白でどうして川を越えられないわけがあろうか?
   もし、神様が{甲乙}の日は東方で青い龍を殺し、{丙丁}の日は南方で赤い龍を殺し、{庚申}の日には西方で白い龍を殺し、{壬癸}の日には北方で黒い龍を殺すなら、貴方の説法では人は皆道を往くことはできないではないか!

   これは天下の人民をだます行為である。馬鹿な迷信を言いふらすな!」と叱りつけた。

   (墨子は2000年以上前の現実主義思想の持ち主で、進取の気性に富んだ科学者だからこんな迷信を一蹴した)

   {墨子}より

細腰を好む [中国の寓話]

hosokoig.jpg                          細 腰

   周王朝の時代、楚の霊王は腰の細い婦人を好んだ。それを聞いた国中の女性は皆ダイエットに励み食を減らした。そのためいきすぎて、病気になったり餓死する人が多かったと言う。

  この話の続きはまだまだあって、例えば、越王は勇者を好んだので多くの人は王の好みに合わせて死ぬことを軽視し命を捨てた。

  また、桓公が美味しい料理を好むと、料理人の易牙は珍しい料理で主君に媚びるため子供の頭を蒸して献上した等など、いくらでもある。

  人の上に立つ者は自分の好みを慎しまねばならぬ。さもないと下の者は迎合し、とんでもないことをやらかし秩序が壊れる。

   {韓非子 二柄}より

ムカデと蛇 [中国古典]

kisyasi.jpg                        ムカデと蛇

   「キ」と言う名の一本足の想像上の奇獣は、多くの足がある「ムカデ」を羨やみ、「ムカデ」は足がないのに歩ける「ヘビ」を羨む。
   
   ヘビは、姿形がないのに力がある「風」を羨む。風はまた万事を見通す「目」を羨み、目はまた、見なくとも悟る「心」を羨む。

   さて、「キ」は「ムカデ」に;「わしは足が一本しかないのに、それがまだ十分使いこなせていない、なのにどうしてお前はそんなに多くの足を自在に使えるのだ?」ときいた。

   「ムカデ」は;「くしゃみをする人を見たことがあるだろう、その時数え切れないほど多くの大小の水滴が吐き出されるだろう。
   
   あれと同じで、自分でそういう水滴を作ろうと思って作っているのではないのだ。わしの足もそれと同じで勝手に動くのだ」。

   「ムカデ」は「ヘビ」に;「わしは多くの足で歩いているが、足のないお前さんに追いつけないのはどうしてだ?」ときいた。

   「ヘビ」は;「別に考えたことないよ、足に替わるものが自然に備わっているだけだよ」と答えた。

   「ヘビ」は「風」に;「わしは自分のわき腹やうろこを動かして歩いているが、これは足のようなものだ。

   ところが、お前さんはただヒューヒューとうなってどこまでも遠くへ行けるが、足がないのにこれはどうしたことだろう」と問うた。

   「風」;「そうなんだよ、でも、わしに向かって指を立てるものがあれば、わしはその指に負けてしまうし、わしに向かって足げにするものがあれば、その足に負けてしまう。

   でも、大木をへし折ったり、大きな家を吹き飛ばしたりできるのはわしだけだ。

   これはひょとして、小さなことに勝たないことによって、大きな勝利を手にする事ができるのではないだろうか?。

   でも、その大勝利をおさめる「風」にしても、居ながらにして遠くを見ることができて、口や表情を使わなくても意思を伝えられる「目」には及ばない。

   でも、「目」にしてみれば、千里を離れ、たとえ分厚い壁で遮られていても、或いはどんな大きな力を持って遮っても悟ることができる「心」にはとうていかなはないのだ。

   荘子おじさんは、人がすべて自分にないものを見ては、それを偉いとか羨ましいと考える心理を笑っているのだろうか?

{荘子 「外編 秋水」}より

駄々っ子あやしの難しさ [中国古典]

                    akaihappa.jpg 駄々っ子あやしの難しさ
   
   以前、弥子瑕(びしか)は衛の国の国王の寵愛を受けていた。この国の法では、許可を受けずに国王の車に乗った者は足斬りの刑になる。

   ある日、弥子瑕の母親が急病だとの知らせを受けて、国王の許可を得たと偽って国王の車に乗って母親の元にかけつけた。

   後でこの話を聞いた国王は;「まことに親孝行なやつだ!あえて足斬りの刑まで犯して!」と刑を免除し、その徳行をほめた。

   また、ある日、弥子瑕は国王と果樹園で遊んだ時、桃を食べたら余りに美味しかったので、食べ残しの半分を国王に差し出した。

   国王は;「いい子だなあ!美味いからってわしにゆずってくれるなんて!」とほめた。

   ところが、歳月が経ち、寵愛も自然とかげりをみせはじめたある日、国王は;「こやつは前にわしの許可を得たと偽ってわしの車に乗りよった。

   また、食べ残しの桃をわしに食べさせた。なんと不届きな奴だ」と言った。

   臣下は、国王の愛情が変ると、手のひらを返すように咎を受けるはめになる。だから、独裁者にあい対する時は、常に愛されているかどうかを念頭に於いて慎重に行動しなければならない。

   ヒットラーが落ち目になった時の各将軍との関係にもあった。その点、信長に仕えた秀吉は、その方面の才能は抜群で、自分のたな心で信長を踊らせた。まことに天才といえる。

   韓非子は国王に「説く」その方法について、ありとあらゆる角度から検証し、緻密に対策を練り、まとめ上げたが、何せ相手は駄々っ子と同じなので、おいそれとは事が運ぶわけにはいかない。

   結局、韓非子も最後は秦の始皇帝の宰相である李斯にその才能を妬まれ、自殺に追い込まれた。

{韓非子;説難}より

待ちぼうけ [中国古典]

machib.jpg                         守株待兎

   韓非子の{五蠹}に「守株待兎」と言う有名な寓話があり、童謡の「まちぼうけ」の歌詞の五番目まで読むと、この寓話の意味する所がよく分かる。

   宋の国で畑を耕している農民がいた。ある時、そこへ跳び出してきたウサギが畑の中にあった切り株にぶつかり、首を折って死んだ。
   労せずしてウサギを手に入れた農民はそれ以降畑仕事をやめ、毎日切り株を見守り、再びウサギを得ようとした。しかし二度とウサギはぶつからず、農民は国中の笑いものになった。

   法律家の韓非子はこの寓話を借りて「世の変化に対応せず、古い成功例をひたすら守ろうとする儒学者の愚かしさ」を譬えるために示したとされています。

   現代に生きる私達は、棚ぼたの待ちの姿勢ではなく「積極的にチャレンジしなさい」とのメッセージとして受け止めたいもの。

   韓非子は生来の吃音で上手に言葉が話せず、その分、文章は巧みだったそうです。

   なお、韓非子は厳しい「法」を科すように主張するこわもての人に見えますが、この「守株待兎」のような優しい
寓話を沢山書いています。

   参考までに「まちぼうけ」の歌詞をあげますと…、(山田耕筰作曲、北原白秋作詞)

待ちぼうけ、待ちぼうけ。ある日、せつせこ、野良かせぎ、
そこへ兎が飛んで出て、ころり、ころげた木のねつこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。しめた。これから寝て待たうか。
待てば獲(え)ものは駆けて来る。兎ぶつかれ、木のねっこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。昨日鍬とり、畑(はた)仕事、
今日は頬づゑ、日向ぼこ、うまい伐り株、木のねっこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。今日は今日はで待ちぼうけ、
明日は明日はで森のそと、兎待ち待ち、木のねっこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。もとは涼しい黍畑、
いまはあれ野の、ほうきぐさ、寒い北風、木のねっこ。

{現代語訳文}
   宋国有個耕田人、田地中有一個樹株、一只兎子駆来衝到樹株、折断頚子死去了。
   這個耕田的人従此放下中手的農具、守候在株傍、希望再得到兎子。
   兎子不可能再次衝上樹株、而他自己却被宋国人嘲笑。

用済みでお払い箱 [中国古典]

yousumi.jpg                   用済みでお払い箱

   すばしっこく敏しょうな兎が捕まってしまうと、それを追いかけて捕らえた優秀な猟犬は「もういらない」と煮られ食われてしまう。

   飛ぶ鳥が捕り尽されると、それを射止めた良い弓や名射手も価値がなくなりお払い箱になる。

   同じく、敵国が敗れれば忠臣や英雄、智謀の士はもう用がなく、かえって危険な存在だと理由をつけて殺されてしまう。

   これは項羽との決戦で大活躍した韓信が、ざん言によって漢の高祖となった劉邦に捕らえられ殺されそうになった時に語った言葉。

   後に疑いが解けたが、楚王から淮陰侯に格下げされた。{狡兎死して走狗烹らる}

   {史記 淮陰侯列伝}より

禍福は同じ門より来る [中国古典]

jizou.jpg禍福は同じ門より来たれり

   魯の国で{陽虎}が反乱を起こした。国王は城門を閉じ、{陽虎}を捕らえた者には手厚い恩賞を与え、取り逃がした者には厳罰に処すと布告した。

   {陽虎}は逃げ場を失い、もはやこれまでと自害をはかろうした。その時、かねて仲の良かった門番の一人が引きとめ;「死に急ぐことはない、私が逃がしてあげます」と言ってこっそりわずかばかり門を開いた。

   {陽虎}は礼を言うどころか、反って門番を矛で突き刺し逃走した。門番は;「わざわざ逃がしてやったのに、何で傷つけるような事をするんだ!」と口惜しがった。

   {陽虎}を取り逃がしたのを知った国王は、門番達を厳しく取り調べ、逃亡を阻止しょうとして傷を負ったとみなされた門番は恩賞を貰い、他の門番達は厳しく罰せられた。

   {陽虎}は先を読んでわざわざ大恩の門番を傷つけたのである。

   禍も福も同じ門から来るもので、人の行為が招くものである。又、利と害は反対のものだが、利は反面に害を招き、害は他面に利の元となるものである。

   {準南子 人間訓}より

伯楽一顧 [中国古典]

haku.jpg                      伯楽一顧

   昔、市場で駿馬を売ろうとしている人がいて、毎日毎日この馬がいかに良い馬かを人々に語り見せたが、いっこうに関心を示す人がなく三日がたった。

   そこで伯楽を訪ねてお願いをした。「私は駿馬を持っています。売ろうと思い三日も市に立ち続けましたが誰も買ってくれません。
   どうか貴方が私の馬の周りをぐるっと一回りして、仔細に観察なさったうえ、立ち去り際に振り返って下さるようにお願いします。
   お礼は必ず致します」と言った。

   伯楽はそれではと願いを聞き入れ、言われたとおりにひと回りし、最後に振り返って立ち去った。

   すると、我も我もと大勢がほしがり、一朝にして値段が十倍に跳ね上がった。

{註;伯楽とは馬を見分ける名人で、今も昔もこの名を知らぬ中国人がないくらい有名人}

   その道の達人が関心を示したとなれば、すぐにとびつきたくなる俗人の心理をついたもので、これは今の世でも同じ。皆さんつい騙される。

   なお、日本では私の子供の頃は、馬を扱う人を博労(ばくろう)とよんだ。伯楽と博労は中国語の発音が同じなので「広辞苑」を調べたらやっぱりそう書いてあった。

   {古文真宝}より

恥をかかそうとして却って恥をかく [中国古典]

shuo1eng.JPG恥をかかそうとして却って恥をかく

   晏子は斉国の三代の国王に仕えた優秀な宰相で、その英明はつとに諸国に聞こえていた。ある時、荊の国に国王の使者として行った時の話。

   荊王は晏子を迎える時;「晏子は賢人だと世に聞こえた男だそうだが、一度恥をかかせてみたいものだ、何かいい方法がないか?」と左右の者にはかった。

   そこで側近の者が;「晏子が来たら一人の罪人を縛って荊王の傍を通り過ぎるようにします」と言った。

   しばらくして荊王と晏子が会見し、話をしている傍を一人の罪人が役人に縄を打たれ、通りかかった。

   荊王;「そ奴は何者だ!」
   役人;「斉の国から来た者です」

   荊王;「何をしたんだ!」
   役人;「泥棒です」

   荊王;「斉国には泥棒が多いとみえるな」と晏子をあてこすった。

   晏子;「江南の地に橘(たちばな)の木があり、我が斉王がこの木を江北の地に植えさせたところ、橘(たちばな)の木にならず、枳殻(からたち)の木になってしまいました。これはどうしてでしょうか?

   要するに、ものは育った地や環境に依存するものです。その罪人は斉国にいたときは盗みなどしなかったのに、この荊国に来てから泥棒をするようになったのです。ここは泥棒が生まれやすい土地のようですな」と晏子は逆手を取った。

   荊王はまいった!恥をかかそうと思って却って恥をかかされてしまった、と我が愚かさを嘆いた。

   {説苑 奉使)より

長所は危険 [中国古典]

sagehana.jpg                    長所は危険

   ここに五本の錐があれば真っ先に折れるのは一番鋭利な錐である。
   ここに五本の刀があれば真っ先に磨耗するのは一番切れ味の鋭い刀である。

   又、甘くて美味い井戸水は真っ先に汲みつくされる。そして、一番最初に伐られるのは高くて真っ直ぐに伸びた木である。

   怪異な亀は容易に焼かれ、大変珍しいヘビは見世物にされる。
   これらを鑑みるに、その優れたところをもって滅びるのが分かる。

   人も同じで、勇気あるものはその勇気ゆえに、賢いものはその賢さゆえにかえって身を滅ぼされてしまう。

   だから有能な人がその地位を守り通す事は難しく、人をしのぐ能力が有るからといって喜べず、無能だからといって落ち込むことはない。

   (安心したか?!)

   (註;亀はこの時代、占いの為、「甲」を焼かれた)  {墨子 親士篇}より

ジャッキーチエンを思い出す [中国の寓話]

goetuss.jpg                          呉越同舟

  呉の国と越の国は絶えず戦ってばかりいる宿敵同士であった。ある日、この両国の人が同じ船に乗り合わせた。
  当然の如くお互いそっぽを向いていたが、中流域にさしかかった時突然強風が吹き荒れあわや沈没しそうになった。
  事ここに至って両人とも恨みを忘れ、それぞれ右手と左手のように互いに助け合って急場をしのぎ、難を逃れた。

  これは「絶体絶命の死地においてはたとえ敵同士であっても団結し事に当たれ」とのたとえ話。

  この話は「孫子の兵法」にあり、兵を死地におけば、心を一つに固め強力な軍になる。「背水の陣」もまた同じ。


  写真は「呉越同舟」で遭難しかかった龍虎山の渓谷とされる場所。

  ついでに同じ「孫子の兵法」で兵士を「蛇のように使いこなせ」と言う「常山の蛇」がある。
これは「常山」にいる蛇は、頭を叩くと尾で反撃し、尾を叩くと頭で反撃し、腹を叩くと頭と尾で反撃してくる。
  兵士をこのように訓練しろと言う。このくだりを読むとなぜかジャッキーチェンを思い出してしかたがない。

  {孫子}より

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。