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精衛、陸地を作る [中国の寓話]

seiei1.jpg精衛鎮海

 発鳩山には枯れた木が山一面にびっしりとあった。そこに奇妙な鳥が一羽棲んでいた。形はカラスに似ていたが、頭には綺麗な花のような毛があり、くちばしは真っ白で足は赤く名前を「精衛」と言った。

 鳴く時はいつも「精衛、精衛」と自分の名をさえずっているのだった。

 精衛は元々は炎帝の子で「女娃」と言う名前だった。ある日、「女娃」は東海で泳いでいておぼれ、不幸にも帰らぬ人となったが鳥に生まれ変わった。

 その後、鳥になった「精衛」は、発鳩山の枯れ枝や小石をくわえ長年東海に運びつづけたお陰で東海は陸地に変わりおぼれる人は誰もいなくなった。

(これは深い仇をむくいること。或いは困難を恐れず最後まで頑張って目的を達成することのたとえ)

「精衛」とは古代中国の伝説中の小鳥の名前。

{述異記}より

太陽と駈けっこした若者 [中国の寓話]

hokoru.jpg夸父追日
  「夸父」という名の若者が太陽と駆けっこをし、太陽が山に落ちる寸前にやっと追いついた。

  そして夸父はとても喉が渇いたので黄河と渭河の水を飲み干した。
   でもまだ飲み足らず急いで北にあると言われる大きな湖を目指したが、途中で喉が渇き死んでしまった。

  この時、大変長い杖を落とした。後にこの杖から根がでて成長し、あたり一面見渡す限りの桃畑になった。

(身の程知らず、能力をはるかに超えた願望を持つ事のたとえ)

   {山海経}より

どちらが男前か? [中国古典]

                    otokomaenoe.jpg どちらが男前か?

   斉国の宰相である鄒忌(スウキ)さんは6尺4寸と背が高く、その上、才気煥発で男前である。
   ある朝、鏡の前で身だしなみをととのえ、妻に;「わしと城北の徐公様とどっちが男前か?」とたずねた。

   妻は;「貴方の方がはるかに男前ですよ!」と言った。徐公様はこの斉国では大した男前で通っている大王様である。

   妻にそうだからと言われても俄かには信じかね、妾にも同じ事を聞いてみた。;「徐公様なんて「め」じゃないですよ、貴方さまの方がはるかに男前ですよ!」ときっぱり言った。

   次の日、お客さんが鄒忌さんを訪ねてきた。二人は歓談し、又もや;「わしと徐公様とどっちが男前か?」聞いてみた。客人は;「そりゃ言うまでもありませんよ、貴方様の方がはるかに男前ですよ」と言った。

   数日経ったある日、徐公様と私的に会う機会があり、徐公様の容貌を仔細に観察してみた。

   ところが、どうみても徐公様の方がはるかに男前だ、わしなどとてもかなはないと思った。

   その夜ベッドで横になり、あれこれ考えた。妻が私のほうが男前だと言ったのは、私をとても愛しているからだ。妾は私が恐いからだ。客人は私の歓心を買いたいからだと気がついた。

   で、あくる朝、入朝し、斉威王(徐公)に拝謁し;「私は先日まで私がこの国では一番男前だと思っていました。しかし、先日お会いして間違いだと気付きました。

   しかし、妻や妾、客人たちは皆、私の方が閣下より男前だと申しました。妻は私を身贔屓し、妾は私を恐れ、客人は私の歓心を買いたいとの思いがあったのです。

   考えてみるに、今この大きな斉国には宮中の官女、左右の近臣、朝廷の大臣などは、皆大王様を愛し、敬まいの心からどうしても大王様を身贔屓します。

   また、下々の国中の百姓たちも大王様の歓心を買おうと、あれこれ根も葉もないめでたい話をでっちあげて持って来るでしょう。

   そうなってくると、大王様には本当の事が伝わって来ず、これは危なく、ゆゆしい事態を招きます。何とかしなければなりません」と申し上げた。

   話を聞いた斉威王は;「分かった!よく言ってくれた!」と言ってすぐお触れをだした。

   ;「群臣、官吏、百姓に告ぐ。大王の過ちを面会して直接指摘し者には上等の賞を授ける。

   書面にて諌めた者には中等の賞を与える。町中でわしの過失を口コミでわしに伝えた者には下等の賞を与える」。

   お触れが出てすぐは、家臣が次から次へと諌言に現れ、宮門は混雑したものだが数ヶ月後にはまばらになり、一年もすると誰も来なくなった。過ちがないので諌言のタネが尽きたらしい。

(この話は、どの社会においても、いつも取り巻きばかりに身をゆだねていると身を誤まるとの親切なお教えであろうか?)

{戦国策「斉策」鄒忌修八尺有余}より。

知らぬは妻ばかりなり [中国古典]

kireihana.jpg知らぬは妻ばかりなり

   時々、新聞の社会面に、毎朝出勤スタイルで家を出、盗みを働いて給料だといって妻にお金を渡すという男の記事が載る。紀元前の中国にもやはり似た輩がいて、妻女を泣かしたという。

   斉の国のある男は、家に妻と一人の妾がいる。彼は家を出、帰ってくる時はいつも酒の臭いをぷんぷんさせ、腹いっぱい食べ、満腹状態で帰ってくる。

   妻が;「誰と食事したの?」と聞くといつもお金持ちや有名人と会食したと言う。

   妻は妾に;「おかしいよ、だって有名人やお金持ちが我家に一度だって来たことがないもん」と話した。

   二人は相談して夫の後をつけて本当の事を見定めることにした。

   次の日、妻は夫に気付かれないように後をつけて歩いた。夫はひとしきり街の中を歩いた後、街の東にある墓地に行き、供えられている余った酒や食べ物を食べた。更に西にある別の墓地でも同じ事をした。

   家に帰った妻は妾に見てきた一部始終を話した。そして;「もとより夫は、頼り一生を託す人である、それなのに……」と絶句して、夫の行いの恥ずかしさに、相抱き合って泣いた。そんなことをつゆ知らない夫は、またも家に帰ってほら話をするのだった。

   {現在でも、世の男達は往々にして会社や商売で、名や利を求め、妻子に見せられない恥ずかしく卑屈な行いを、あえてしているのを、幸いにも妻子は知らないのだ}

{孟子 離楼下}より

継続に価値あり [中国古典]

 shasu.jpg                       継続に価値あり

   学問とは継続し行うもので、決して途中で止めてはいけない。

   青い色は藍と言う草からとってできるが、元の藍より青く、氷は水からできているが、水
より冷たくなる。これらは継続することによって元よりも先が進化し、例えれば弟子が先
生より一歩進む事を示している。

   材木は墨縄を用いて初めて真っ直ぐに切る事ができ、火にあぶれば曲がり、合わせば車輪にもなる。

   金属は繰り返し砥石にかけ磨くと鋭くなる。つまり手を加えれば柔軟に変われる。人もまた規正され、磨かれて立派になれる。

   高い山に登らなければ天の高さが分からず、深い谷の傍に行って初めて地の厚さを知ることができる。自分がある程度の偉さに達しなければ偉い人の本当の偉さは分からない。

   世界各地で生まれる子供達は、生まれた時はその「うぶ声」は皆同じだが、成長するにつれてそれぞれ習俗が異なるのは後天的な教育がそうさせている。

   だから、いつも安逸に流れず継続して学び、徳を積み、自分の福を大きくせよ。幸いは裕福な暮らしからだけでは得られない。むしろ無事息災の継続することが何よりの幸せなのである。

   {荀子・勤学篇1}より

無用の用 [中国古典]

rousi1.JPG無用の用

   老子は三つの例を挙げて無のはたらきの大切さを説いている。

   三十本のスポークを中心に集め車輪を作るが、中心部分は空洞になっていて、その中に軸を通して車の働きをする。

   土を捏ねて器を作るが、器としての働きをするのは、その空間部分である。

   西北地方の穴居の家(ヤオトン)では、土をくり抜いて部屋や窓を作り、その空間部分が家の働きをする。

   このように「無」の根源的な働きを述べ、「有」の働きを支える大きな力となっていて、両者が相まって始めて機能が発揮することを説いている。

   ここでは有と無は対等である。

   現代に住む私達は、竹の節の空洞は、なにもかぐや姫のためでなく、しなやかさと強靭さを得るためにあるし、レンコンの6個の空洞は、テンプラとして揚げやすいだけでなく、水圧と泥圧に耐える構造物の形である事を知っている。

   また、車のハンドルの遊びも安全運転にはかかせない空間と理解している。
   
   だから人も遊びが大切で、「趣味が仕事」など論理的にありえない。

{原文}
   三十幅共一轂。当其無、有車之用。{捏土}以為器。
   当其無、有器之用。鑿戸{窓}以為室。当其無、有室之用。故有之以為利、無之以為。
                                    「老子11章」
   註;{捏土}{窓}は該当する日本語フォントが無い為、同じ意味の字を当てた。

有能は幸せか? [中国古典]

有能は幸せか?

sousi1.JPG荘子の「人間世」に面白い話がある。
   大工の棟梁の石さんが弟子を連れて斉国を旅行中、神木である大きなクヌギの木に出くわした。その大きさは数千頭の牛を覆い隠すほどで、幹の太さは百尺ほどあり、地上から7.8丈もある高いところから初めて枝が出ている。

   その枝も舟を作れるほど大きいのが10本余りある。見物人が集まって見ている中、棟梁の石さんは見向きもせず、そのまま通り過ぎた。

   弟子達は何度も仰ぎ見て感嘆し、棟梁の石さんに;「師匠の所に弟子入りしてから、こんな立派な木材を見た事がありません。でも師匠がろくに見もせず、さっさと通り過ぎたのは何故でしょうか?」と聞いた。

   「だまれ!馬鹿馬鹿しい。あれは役立たずの木だ!舟を作ると沈むし、棺桶を作ってもすぐ腐る。道具を作るとすぐ壊れるし、門や戸にすると樹脂が流れ出す、柱にすると虫がわく。まったく役立たずの木なんだ」。

   「要するに、まったく使い道がないから、あんな大木になるまで長生きができたのだ」と嘆いた。それを聞いて弟子達はなるほど師匠はエライ人だと尊敬した。

   (普通、教訓話はここで終るが、荘子おじさんはこの後、一段、深考したのだ!)

   その晩、棟梁の石さんの夢に出た神木は「お前は私と何を比べたんだい、多分役に立つ木と比べたんだろう。木の実や草の実は熟すとむしり取られ、大きな枝は折られ、小枝はもぎ取られる。これは人の役に立つからかえって自分の命を苦しめているのだ。それで天から授けられた寿命を全うせず若死にするのだ。

   それで私は長い間、役に立たない物になろうと願ってきたが、死に近付いた今になってやっと叶えられ、その事が私にとって大いに役立つ事になった。

   もし私が役に立つ木だったら、ここまで大きくなったであろうか?それにお前も私も物である事に違いはない。どうして相手を物あつかいして、役に立つ立たないで批評するなんてできようか?

   石さんは目が醒めると、その夢の話を弟子達に聞かせた。すると弟子がたずねた;「自分から無用でありたいと思っているのならどうして神木になったのでしょうか?」。

   石さんは;「だまれ!神木の形を借りているのだ。役立たずとか、能無しとか、わからずやどもの悪口が煩さいのだ。

   元々、神木にならなくとも永年の努力のお陰で、人間に切り倒されるような心配は無い。それにあの木が大切にしている事柄と世間一般の常識とは違っている。それなのに勝手な考えで論ずるのは見当はずれもいいとこだ。

   {荘子は紀元前369年~紀元前286年に生きた人で、一般には老子の思想を受けついだ人と言われている}

商人のなりわい(韓非子) [中国古典]

韓非子

   韓非子は「五蠹」のなかで国家統制の邪魔になる五つの「害虫」を挙げていて、その五番目が「商人である」と書いている。

   約3,500年前、黄河デルタに古代殷帝国を築いた民族は、都を{商}と呼び、商の民と自称した。ところが、その500年後、西北遊牧民族の{周}に攻められ亡国の民と化した。

   その時、{商}の民の大部分は{周}に同化したが、潔ぎよしとしない人々は各地を流浪し、行商をなりわいとしたので「商業」が興り、「商人」がでた。ユダヤの民とよく似ている。

   「商人」は表面では権力に服従を装い、裏では嘲笑し、悪官吏を丸め込んで巨利を得、素朴な農民を餌にするので皆から嫌われた。

   韓非子は中国最初の{法}の専門家で、奴隷制社会から封建制社会に移行する{周}の時期、彗星のように現れ、今日まで続く法制度の骨格をつくった。

   でも、韓非子の天才的な才能に嫉妬した周の宰相である李斯に、謂れの無い罪を着せられ自殺に追い込まれました。

   韓非子は生来の吃音ながら、とても鋭い人との評判どおり、「商人」の恐るべき力と、その本質的な性格を見抜き、三千年を経た今日でも、一連の商人のなりわいは、有る意味詐欺行為まがいで、kanbi1.jpg彼の洞察通り、何ら変っていない事を物語っていて面白い。

   ついでに、五つの「害虫」の「商人」以外は、「儒生」「縦横家」「遊侠刺客」「権力者が養う徒党」である。

豆ご飯をこしらえた [野菜作り]

 

syakuyakuso.jpg

今日の畑作業は花壇に植え付けた花苗の水やりとエンドウ豆の収穫、それにタマネギ、春大根を3本収穫。

 豆ご飯と豆のおかずをこしらえた。あと 大根葉のつくだにをこしらえた。家内が風邪でダウンなので、アドバイスをもらってうまく作れた。

 写真は鉢植えの芍薬 


2012-05-19

ariumhatude.jpg 

調べてみれば3年ほどこのブログを休んでいた。もったいないので続けることにした。でも使い方がかわっているいるみたいでいろいろテストしてみないといかんな。

手始めに花の写真を張り付けてみようかな。

 


アスターを植え付け [野菜作り]

休養が長かったが今日から再び再開します。どうか宜しく。

朝から良い天気。畑作業がはかどった。花壇にアスターを21株植え付けた。 


二年目の「イキシャ」が咲きだした [花壇の花]

ikisya0509.jpg我が畑の花壇の「イキシャ」の花

終わり良ければ全て良し [私の菜根譚]

   バツ一も、二も三も渡り歩いた尻軽女。風の気まぐれ波のよれ、良い旦那に拾われて、今じゃ老舗旅館の名女将。

   昔馴らした清純派、波に遊ばれ風にもまれ、今じゃ18禁の呼び込み婆さん、惜しくもあり、悲しくもある。

{原文}
   声妓晩景従良、一世之柳花無碍;
   貞婦白頭失守、半生之清苦倶非。
   語云;観人只観後半截。真名言也。     (菜根譚92)

{訳}
   浮名を流した芸妓でも、晩年縁を得て良い夫に巡りあい、共に相睦まれば、昔の浮名など妨げにならない。
   貞節な婦人でも、白髪目立つ晩年に、操を守れないならば、清い半生の苦労が台無しになる。
   ことわざに云う;「人を見るは、ただ後半生だけで良い」。これ真なり。

{習性}
   宝石店主は云う;「金持ちは物を見、貧乏人は値札を見る」。これ真なり。

6年目のにんじんリンゴジュース [健康]

 毎朝、にんじんリンゴジュースを飲み始めて6年が経つ。効いているのかどうかは分からないがずっと健康で今年の冬に古希を迎えた。朝飯はこれ一杯こっきり。

 ここ二三年前からジューサをやめて下ろし金を使っている。こちらの方が味がいいのだ。それに握力がつく。年を考えてにんじんは一本だけにした。二本より美味しいから。

 二年前からは畑でゴーヤが取れ過ぎるので、これもジュースにしてチビチビと飲む。かなりきつく感じるからがぶ飲みは危険。

 調子に乗って最近は大根おろしの下ろし汁まで飲むようなった。これはピリ辛で結構な味なのだ。さて、他にうまい材料はないものか?

動中静あり、苦中楽あり [私の菜根譚]

   ふとんより、寝台列車でこそ熟睡できる、出張社員の真の静。

   温泉は、社員旅行でこそ面白く、夫婦旅行は、気抜けのビール。

{原文}
静中静非真静、動処静得来、才是性天之真境;
楽処楽非真楽、苦中楽得来、才是心体之真機。
                           (菜根譚88)
{訳}
   静の中で得た静は真の静にあらず、動の中で得た静こそ、天から与えられた真の静の境地である。

   楽の中で得た楽は真の楽にあらず、苦の中で得た楽こそ、心と体の働きによる真の楽のかなめである。

{限度}
   二日徹夜した後は熟睡できるが、三日徹夜した後は真の静に迎えられる。
   苦が抜けた後は楽しいが、いつまでも苦ばかりなら真の楽に迎えられる。

もみがらを貰いに行く [野菜作り]

1キロメートルほど離れた脱穀所へもみがらを貰いに行った。

肥料の空き袋に満タンに詰め、自転車の前と後ろに三袋を積んで畑まで四往復した。とてもしんどい。
勿論ただなので取り放題だ。今どきこんなのはそう無いので嬉しい。

種まきの時に使ったり、畑を耕す時にすきこんだり、畝の上に置いて敷きわら代わりに使う。
11月まで脱穀をしているのでまだ何回か取りに行くつもり。

ふと思った [暮らし]

サンマの夕食に大根おろしをすっていた時ふと思った。

毎朝ニンジンとリンゴをすりおろしてジュースを作り飲んでいるのに、どうして大根おろしだけはすりおろしたジュースを捨て、かすの方を食べるのか?と。

もったいないネ。で、試しに飲んでみるとほんのり甘くて所々でピリ辛味である。これはいけるジャン。これからは捨てずに飲もうと決めた。

この世で最も幸せなこと [一人よがり]

この世で最も幸せな事とは、最愛の人と一緒にいる事。他に何もいらない。

この世で一番大きな事業とは、赤ちゃんを産み育てる事。これに勝る事業はない。

楽に生きる生き方 [一人よがり]

年頃になり結婚し、子供を産み育てる。これが一番楽で幸せな生き方だろう。
あれも欲しい、これも欲しい、あそこへ行きたい、あれも見たい。

でも、どこへ行くよりも何を見るよりも、何をするよりも一番楽しくて幸せなのは頭に書いた一節であるらしい。

おばあちゃんの話、中国古典等など行き着く所はここへ収斂してくるように感じる。

畑は楽しい [野菜作り]

ブロッコリーの収穫は今日ですべて終わった。11月から頭頂蕾を収穫し、その後脇芽からの蕾を順次収穫した。タキイのハイツと言う品種で、収穫期間が長くとても重宝する。

菜の花の花蕾はあまり収穫して食べなかったので花が満開状態。隣の農家の菜の花は蕾の段階で収穫するので花は皆無である。

畑もいよいよ春に向けての作業が始まった。にんじんと九条ネギはすでに種を播いてトンネルをかけた。次はだいこん、レタス、ほうれんそうの順番である。これからは忙しくなるが楽しい畑仕事ができるのが嬉しい。

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