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無値之宝 [中国の寓話]

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  ある日、西域からやってきた商人が市場で「珠宝」を売りに出した。いずれも燦然と輝き、とても価値のあるものばかりだった。特にその中で{} (サンゴのサン)と名付けられたものは、ひときわ人目を引いた。

 色合いは「朱紅」でまるで「桜桃の花」のようである。大きさは直径一寸、数十万銭以上はすると言う。人々はなんと凄い宝石だと感嘆した。

 儒者の「竜門子」は弟子を引き連れ、ぶらぶら市場を散歩していた。大勢の人が店を取り囲んで騒がしいので覗いてみると、例の「珠宝」店だった。

「竜門子」;「その{珊}を食べれば腹がふくれるか?」
「商人」 ;「食べられない」

;「では、身につければ病気が治るのか?」
;「治らない」

;「災禍から逃れられるか?」
;「逃れられない」

;「それを持てば、よく親や兄に孝行するか?」
;「そんなことはない」

;「なんと奇怪なことよ、何の役にも立たないなんて。しかも数十万銭以上するって?何故だ?」
;「人里途絶えた遠い遠い所で発見し、艱難辛苦して運び出したこの世にない非常に稀な宝石だからです」

 「竜門子」はあきれて馬鹿馬鹿しくなりその場を離れた。弟子たちは先生の意を計りかね教えを請うた。

 弟子達;「先生の意が分かりません。どうか教えて頂きませんか?」

 竜門子;「昔の人は言っている。黄金は宝物だと、でも食べれば死ぬし、粉末が目に入れば目を病む。だから私はずっと前から宝物を追わない。なんとなれば、私の身体には世に言う宝物より大変貴重な宝物がある」

 「その価値はどの「珠宝」よりも計り知れないほど高い。その上、水に沈まず火にも焼けない。勿論どんな風が吹いても、どんな日照りにあってもびくともしない」

 「また、それを用いれば天下が安定し、私自身とても良い気持ちになれる。人はこのような宝物をないがしろにし、他に「珠宝」を求めるから身も世も病むのだ」

 「竜門子」のいう宝物とは{美徳}や{徳目}のたぐいであり、{完美な精神生活}であり、これを追及することこそ「無値之宝」なのである。と弟子たちに熱く語るのだった。

  {唐 魚玄机《贈隣女》}より  
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桑中李樹「イワシの頭も信心から」{中国の寓話} [中国の寓話]

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 むかし、ある男が「すもも」の実を食べながら歩いていた。食べ終わると「種」を傍らの「桑の木」の幹の大きな空洞に吐き捨てた。男はその上に土をかぶせた。

  別にここで「すもも」を育てようなどと考えたわけではない。ただの余興気分だった。その後、男はその事をすっかり忘れ去った。

  歳月が過ぎ、「すもも」は芽を出し誰知らぬ間に人目につくような大きな「すもも」の樹に成長していた。

  人々は「桑の木」の中に「すももの樹」が生えているのを見て、これは珍しい大変「神奇」なことだと崇めたてまつるようになった。

  ある目の悪い人がこの話を聞き、これは「神樹」にちがいないと思った。彼は白い杖をつきつきこの樹の前にやってきて;「李樹さん、もし私の目が見えるようになったらどんなお礼でもします」と「願」をかけた。

  するとすぐに目の痛みがとれ、数日のうちに目が見えるようになった。彼はとても嬉しくて会う人ごとに「神樹」のお陰だと熱っぽく語った。そして「神樹」の前にお供え物をし、かねや太鼓を打ち鳴らしお祭りをした。

  この話は瞬く間に近在に知れ渡り、目の悪い人ばかりか「百病」にも効くとうわさが広がり、人々はお供えをし「願」をかけた。

 ある時、「すもも」の実を吐いた例の男が旅の途中で再びここを通ると、「神樹」さわぎになっているのに驚いた。

  男は「いきさつ」を熱く語ったが誰からも相手にされず、かえって怪しい人とされ、すごすごと立ち去らざるを得なかった。

  目が治ったのも、病気が治ったのも「信心」による自己の精神作用の偉大なはたらきによるもので、まだ科学では解明されない未知の領域にかかわることがらであろうか?「イワシの頭も信心から」を甘く見てはいけない?!

  {中国寓言 作者不詳}より   写真は桑の木とその実 。
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笨人掬豆(なぜ、黒豆に尾が生えたん?) [中国の寓話]

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  隋朝の時代、一人の百姓が畑で収穫した「黒豆」を車にいっぱい積んで町で売ろうと道を急いでいた。ある川べりにさしかかった時車輪が石に乗り上げてひっくり返り、「黒豆」が全部川に落ちてしまった。

  とてもじゃないが一人で水からすくいあげるのは無理だと思い、一度村へ引き返し家族の応援を得ようとその場を離れた。

  たまたまこの川べりを歩いていた人たちは、「黒豆」が川の中に浮かんでいるのを見て、もったいないからと次々と水からすくいあげ、きれいさっぱり全部持ち去った。

  しばらくして百姓が応援部隊を引き連れてやってきたが、そこにはただ千匹以上のオタマジャクシの大群が浮かんで遊んでいるだけだったのだが、百姓は「黒豆」だと勘違いし、水に足を入れると一斉に「黒豆」が水の底に消え去った。

  百姓はなぜ「黒豆」が驚いて逃げたのかわけが分からず、長い間ぼんやり突っ立ったままだった。そしてわずかの間に「黒豆」に尾が生えていたのかどう考えても合点がいかなかった。

{中国古代寓言 作者不詳}より
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河中石獣(大石が上流へ流れる?!) [中国の寓話]

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  中国の河北省滄県の南の河岸に、寄りかかるようにして大きなお寺がある。昔、大水が出た時に正面の山門が河に崩れ落ち、一緒に山門の傍に守り神として鎮座していた一対の大きな獣の石像(日本では狛犬)も同時に河底に落ちてしまった。

  十数年経って和尚さんが募金を集めお寺を修復したが、一対の獣の石像が無かったので探すことにした。河は流れがとても速いが、深さは人の背丈ほどしかない。

  和尚さんは石像は重いが水の浮力と急流によって下流に流されたと思った。それで人を雇い小舟に鉄の爪をつけた道具で下流10キロまで探したが見つからなかった。

  お寺で講義をしていた学者がこの話を聞き;「馬鹿か?」と嘲笑い;「木片じゃないよ石だよ、流れるものか!」「石は硬くて重いし川底の砂は軽くてもろい。従って砂に埋もれ、時が経てば経つほど深く埋もれる」と話した。皆はなるほど道理だと感心した。

  この話を聞いた一人の老船頭は「あの学者は馬鹿か?」と嘲笑した。

  老船頭が言うには;「石は河のはるか上流に転がって行ったはずだよ」と話した。皆は「そんな事ありえない、お前こそ馬鹿か?」とてんで相手にしない。そこで、老船頭が地面に絵を描いて皆が分かるように詳しく説明した。

  石は硬くて重いし川底の砂は軽くてもろい。水が石に当たっても石は重くて動かないが、石の前面下の水は石によって左右に分かれ流れが速くなり、その分砂が持ち去られて穴ぼこができる。

  穴ぼこは時が経てば経つほど深くえぐれ、石は穴ぼこに倒れ落ち上流に向かって一歩進む。石はその新しい場所で再び同じ事を繰り返し、10年も経てばはるかな上流までさかのぼっていくのだ。「さあ、皆さん河の上流を探しましょう」と言った。

  皆は半信半疑だったが、上流を探すと驚いたことに数百メートル先で石像がみつかった。

  この話は「河中石獣」として中国では有名。写真は中国雲南省シーサンパンナのタイ族寺院の石獣。

  {中国 中学国語}より
     
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掘井戸得一人(話には尾ひれがついて一人歩き) [中国の寓話]

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 宋の国に「丁」という名の百姓がいました。この家には井戸がなく、毎日遠いところまで汲みに行かねばならず、そのため日がな一日誰か一人がいつも外に出て水を汲みに行っていました。

 後になって、庭に井戸を掘ると水が湧き出てきました。家族は皆大喜びで、つらい水汲みの労働から逃れることができ、おまけに一人の労働力が浮きました。

 百姓の「丁」さんは嬉しくて見知らぬ人に;「庭で井戸を掘ったら、お陰様で人をひとり得ました」と話しました。

 この話を「丁」さんから聞いたその人は別の人に;「「丁」さんが掘った井戸から人がひとり出てきたそうだよ」と話しました。

 この話は、珍しいこともあるものだとまたたくまに国じゅうに広がり、宋の国王の耳にも伝わりました。

 国王は;「なんと奇怪なことよ!」と官員を「丁」さんの家に派遣し調べてみると、「丁」さんが言うには;「私は井戸を掘ったお陰で一人の労働力を得ました。決して井戸から人を掘り出したわけではありません」と答えた。

 世上には伝奇や怪事がとても多く、真意を調べもせずに尾ひれをつけて面白おかしく伝えられるもの。どうか踊らされずしっかり見極めたいもの。

 この話は魯の国の「魯王」が「孔子」に事の本質の見分け方のレクチャーを受けていた中で、「孔子」がこの寓話を持ち出して理解を促したもの。

 (画像は宋時代の井戸の様子。{元享利貞}の「王弘力・古代風俗百図」)より

   {呂氏春秋 察伝}より
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狂泉(この水飲んだら皆狂った) [中国の寓話]

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  むかし昔、大きな山の中に小さな国があった。この国には泉が一つしかなく、人民は皆この泉の水を飲んだ。

  この泉は昔から「狂泉」と呼ばれていて、この水を飲めばすぐに狂ってしまうのだった。それで国じゅうの人民は皆狂っていた。

  ただし国王ただ一人だけ特別に自分専用の井戸を掘って飲んでいたので、国中全部が狂っていた中で一人だけ狂っていなかった。

  狂った人民から狂っていない国王を見ると、それは明らかに病人である。

  そこで心やさしい人民は国王の病気を治してあげようとハリを打ったり灸をすえたり、あれこれ薬を試したり、思いつく限りの様々な治療を施した。

  国王は人民の熱い思いに喜びながらも我慢して耐えた。でもあまりの治療の苦しさに耐え切れず、人のいないすきを見て「狂泉」にかけつけその水を飲んだ。すると国王もすぐに狂ってしまった。

  これで国王の病気もやっと治り、国中が目出度く皆狂い、以後国じゅう全部が楽しく暮らしたそうな。

  {この寓話は独裁国家に対する人民革命の様子を映し出しているように見えるがいかがでしょうか?}

  {なお、中国のブログに「未だに中国への侵略を認めない日本人はまだ狂泉の水を飲んでいる」と書いてあるのがあった。}

  {写真は2005年春に行って撮った中国雲南省大理にある「蝴蝶泉」で、春に蝶々の大群がやってくる。今は蝶々よりバスを連ねて観光客がやってきて騒がしく、肝腎の蝶々が寄り付かないそうな}

   {六朝 宋書}より
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嘆牛 (用が済んだら惜しげもなく捨て去る) [中国の寓話]

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 劉さんが散歩していると、一人の年寄りが足の不自由な一頭の牛を曳いてやってくるのに出会った。

 劉さん;「体格のいい牛だね。でもどうして足が悪いの?それにとても恐れているね、どこへつれていくの?」
 年寄り;「良いえさを与えたからだよ、足は働き過ぎて痛めたんだ。」

 劉さん;「どんなふうに?」
 年寄り;「千斤の荷物をひき、北の雪山を越え、南の渓谷を渡り泥濘をかきわけ日照りにあえぎながらよく働いたものだ」

 劉さん;「でも、足以外は満々と肥ってじょうぶそうだね」
 年寄り;「ん、で、高く売れるので肉市場へ売りに行くんだ!」

 劉さん;「あなたは利益を得たいし、牛はあんなに働いたのに死なねばならん。可哀そうだ。さて、どうしょう?。わしは金がないので今着ている服を売ってこの牛を買い、野原に放ってやりたい」。どうじゃ?
 
 年寄り;「わしは酒を飲みたいし肉も食いたい。子供に飴を買ってやり、かあちゃんには綺麗な服の一つも買ってやりたい。そんなお前さんの安物の服なんか話にもならん」。と笑ってとり合わない。

  劉さん;「あーあ、用が済んだら惜しげもなく捨て去るのだ」と大きなため息をついた。

 昔、呉の国の国王は覇業を成し遂げると大功のあった伍子胥を自殺に追い込み、秦の始皇帝は帝に就くと首相の李斯を馬裂きの刑に処し、比類なき勇者の韓信もまた身に覚えのない罪を着せられ獄に朽ちた。岳飛もまたしかり。

 {ひるがえって見れば、今の世も似たようなもんだ。派遣切りに肉親の高齢者虐待も同じ流れに見えてくる。これらすべてはこの牛と同じだ。なんて悲しいことなんだ!}

 {寓林折枝}より  写真は韓信の勇姿
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得心応手(聖人の言葉はつまらない残りカス。 [中国の寓話]

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  春秋時代のある時、斉の桓公が堂の上で真面目に書物を読んでいた。その堂の下で老木工匠の輪扁が車輪を作っていたが、つちとのみをおき、堂に登って桓公に問いかけた;

  「お殿様の読んでおられるのはどんなことばですか?」
  「聖人のことばだよ」

  「その聖人は今も生きておられますか?」
  「とっくに死んでしまわれた」

  「それなら、古い人のつまらない残りかすじゃないですか」
  「車輪作りふぜいが大きな口をたたくな!何故だ?言ってみろ、道理があれば許す、さもなくば死罪に処す」

  「私の車輪作りから考えるに、削りが甘ければ輪のスポークががたつくし、削りがきつければうまく嵌め込めない。甘くもなくきつくもない微妙な加減は体で会得して心に納めるだけで、ことばでは言い表せないものです」

  「たとえ自分の子供であっても教えられず、子供も受け継げないでいます。だから70才になってもまだ車輪つくりを続けています。

  古人も同じように一番大事なものは残せず、残りかすだけが残されるのではないでしょうか」

桓公はこの話を聞き、そうなのだと大きくうなずいた。

  この「得心応手」は後に「手が自分の心のままに自由自在に動く」ことを表現する四字熟語となり今の世に写真のように活用されている。(パソコンの維持と故障排除の意味)

  この話は元々書物は生き方を求めるために尊重すべきものである。でも、ことばを連ねたものにすぎない。

  物事の本当の大事なことは言葉では伝えられないものであると荘子は言いたいのだ。

  目で見る色や形、耳で聞く物の呼び名や音声などでは事物の本当の姿は十分つかめない。たとえば、ぬくもり、肌ざわり、手加減など様々な微々たる要素が重要な働きをなしているのだ。

  私の場合、野菜作りの参考書は多くあるが、肝心なことは抜けていて、役に立たないのを痛感したものである。

  {荘子 天道篇}より
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猪們的評議(楽しみは一心に何かに打ち込んでいる時突然訪れる) [中国の寓話]

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猪們的評議
  ある若者達のグループは「何か楽しいことがないだろうか?」とあちこち探し歩いたが、かえって悩みや悲しみ、痛みに出くわすばかりで、ほんの刹那的な楽しさのむなしさに、やりきれない思いを抱いていた。

  そんなある時、彼等の先生であるソクラテスに聞いてみた;「楽しいことって結局のところ一体どこにあるの?」
  ソクラテス曰く;「先ず、私と貴方達みんな一緒になって一艘の舟を作りましょう」ともちかけた。

  若者達はひとまず楽しいことを探すのをやめ、舟を造るための道具を探し、山へ入り大きな木をみつけ切り倒した。そして中身をくり抜き一艘の丸木舟が出来上がった。

  舟を水に浮かべソクラテスや若者たちが乗り込み一斉に力を合わせながら拍子をとって掛け声とともに歌を歌ってこぎ進んだ。

  ソクラテス;「皆さん、楽しいですか?」
  若者達は一斉に「楽しい!とても楽しい!」と大声で答えた。

  ソクラテス曰く;「楽しみとはこのようなものだ。それは往々にして忙しく一心に何かに打ち込んでいる時、突然訪れるものなんだよ」

   {作者不明・猪們的評議}より   写真はソクラテス像
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吹牛老人(ほら吹き老人の奇怪なお話) [中国の寓話]

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吹牛老人
  三人の大ぼら吹きの老人がいていつも人を煙に巻いて楽しんでいた。ある日たまたま道で出会って三人が一緒になった。丁度その時、向こうから若者が歩いてきて三人の老人に挨拶した。

  若者;「皆さんは今年で何才になられましたか?」と礼儀正しくきいた。

  一番目の白髪の老人は;「わしの年か?とっくに忘れたよ、子供の頃に盤古とよく一緒に遊んだものさ、盤古はわしの事を兄貴と呼んでいたなあ」。

  若者は何と長寿なんだろうとびっくりして飛び上がった。

  二番目の老人は;「わしは年なんか数えたことなんかないよ、そう言えば何回も繰り返して大海が干上がって田畑になったなあ、その都度わしは長者になり、大きな家に入りきらないほど財宝が貯まったもんじゃ」。

  若者はこの老人は神仙に違いないと思った。

  三番目の老人は;「聞いたことがあるか?あの仙桃の話。あの桃はな一万年かかってやっと熟すのじゃ。わしは今まで数えきれんほど食べたものじゃが、捨てた種が積もりつもってあの崑崙山と同じ高さになったものじゃ」。

  若者はもう驚かなかった。この三人は元来「ほら吹き仙人」なのだ!

  ほら吹きは奇怪なストーリを語るが、一体どんな意義が有るものだろうか?この話のようにありえない長寿と、短い命のかげろうや、むくげ、或いは一夜茸のようなはかないものとの間にどんな違いがあると考えればいいのだろうか?

  なに?荒唐無稽だから考えない方がいいって?!そりゃそうだ!

  {なお、盤古とは神話上の宇宙を初めて開いた男。詳しくは「盤古天地を開く」を見て下さい。ついでに吹牛とは中国語でほらを吹く意味}}

   {中国古代寓言・陳金安}より
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