SSブログ

 視 肉 (神秘で珍奇な薬) [中国の寓話]

miruniku.jpg                            
  南方にある蒼梧山は古代の天子だった舜とその子の商均が埋葬されている所である。時移り荒野と化したここは、奇禽怪獣が出没する魔界とも言える。

  そこには「紫貝(後に貨幣となる珍しい貝)」、鷹、熊、象、虎、豹、狼、「離朱(一種の神鳥で長い三本の足がある)」、「神蛇(一見車の心棒に似ていて頭が赤く体が紫色の蛇)」、それに視肉など奇怪な生き物が棲息している。

  その内、「視肉」はとても変わっていて、見たところまるで「一塊の肉」のようで、形は牛の肝臓みたい。二つの小さな目がある。

  この「視肉」の肉はいくら食べても食べきれないのだ。どうしてかと言うと、食べるしりからすぐに別の場所から生えてきて、元の原形に復帰するので気味が悪く食べる気がしないそうだ。

  学者の研究によると、「視肉」は生物と菌類の中間物で原質体生物に属し、人類と一切の生物の祖先だそうだ。

  本草網目にある「肉芝」がそれで、神秘で珍奇な薬として珍重されている。

  {山海経}より
nice!(0)  コメント(0) 

燧人取火;(火の発見物語) [中国の寓話]

hiuchi2.jpg                            
  大昔である上古の時代、まだ火がなく生のままで生臭い嫌なにおいがするものを食べ、体を痛め病気になり死ぬ人が多かった。

  そんな時、「燧人氏」と言う名の聖人が現れ木を擦って火を起こし、煮炊きをして民に食べさせた。するとみな健康になり人々は喜んで「王」とならしめ、「燧人氏」とよんだ。

  さて、この「燧人氏」とは?

  この時代、「伏義」という神様がいて、苦しんでいる人間に火を与えようとされ、ある若者に;「遥かな西に{燧明}という国があり、そこに{火の種}があるので取ってきなさい」と教えた。

  若者は苦難な旅の末「燧明国」に着いたが、昼夜の区別がなく暗やみばかりの国で「火の種」などなく失望し「燧木」という木の下に座り眠りこんでしまった。

  突然何かが光るので目が醒めよくよく探してみると、それはこの「燧木」に止まった鳥が枝をくちばしでつつくたびに火花がでたのだった。若者は真似をして木を擦ると同じように火花がでた。

  若者は故郷に帰り皆にこの火を起こす方法を教えた。後に若者は「燧人氏」とよばれ聖人と崇められた。

  ついでに、古代神話に聖人として「三皇五帝」があり、その三皇の一人が「燧人氏」であり、あとの二人は「伏義氏」と「神農氏」である。

  {韓非子 五蠹篇・その他}より
nice!(0)  コメント(0) 

対牛弾琴 (猫に小判)と同じ意 [中国の寓話]

 usikoto.jpg                           
戦国時代、「公明儀」という名の音楽家がいました。作曲と演奏ができ、とりわけ七弦の琴を弾くと優美で人を感動させ、多くの人たちから賞賛を浴びていました。
  
  ある天気の良い日、琴をかかえ郊外へ出かけ、春風の中、柳がゆれ牛が草をはむ野原へやってきました。彼は牛に聴かせるため{清角之操}なる曲を奏でました。

  でも牛は興味をしめすでもなくただ黙々と草をはんでいるだけでした。

  彼はテンポをかえ高低をかえ、持てる限りの技を使い牛の関心を引こうとしましたが、牛は時々尻尾を振りアブを追い払ったりしていて相手にされず、しまいには悠々と他の草の方に歩いていきました。

  彼は面白くなく、怒りがこみ上げてきたり、力不足を感じたりして自信を失いました。友達は;「そんなに怒ったりがっかりしなくていいよ、牛に音楽の良さなど分からないよ。君はただ相手を間違えただけなのだ」と慰めた。

  この「対牛弾琴」の話は「ネコに小判」のたぐいで、道理の分からない人に道理を説いたり、自らいざこざの種をまくのを戒める「四字熟語」として親しまれてきました。

   {弘明集}より
nice!(0)  コメント(0) 

葉公好竜(名を好んで実を好まない) [中国の寓話]

 yeryuu2a.jpg      
  楚の国の重臣である{葉公}はとても竜が好きだった。家の中の梁や柱には竜の彫刻が施され、客間や食堂などあらゆる所に竜の絵が張られ、特に寝室の壁には全面に竜の絵が描いてあり、「竜御殿」さながらだった。
  天上にいる本物の竜がこの話を聞きつけ天から降りてきて、{葉公}の家の窓から首を突っ込み、長い尾を客間から垂らしてあいさつした。

  するとあれほど竜が好きだった{葉公}は驚きあわて土気色の顔をして命からがら逃げ出した。

  要するに{葉公}が好きだったのは本物の竜ではなく、竜の絵や彫刻だったのだ。

  この話は「名を好んで実を好まない」の喩えで、見せ掛けだけで人の歓心を買おうとする輩を揶揄する話。

   春秋時代に編まれた逸話集の{新序儒書}から
nice!(0)  コメント(0) 

南轅北轍 [中国の寓話]

minamikutu1.jpg
  紀元前三世紀の戦国時代、太行山のふもとで一台の馬車が北に向かっていました。

通行人;「どこへ行くんだ?」
御者 ;「楚の国へ行くんだ」

  「楚の国は南だよ、どうして反対の北なんかへ行くんだ?」
  「これは優秀な馬だ、どう向かおうと必ず楚の国に行き着くんだよ」

  「いくら優れた馬でも方向が間違ってますよ」
  「心配ない。旅費はうんと有る」

  「お金の問題じゃないんです、楚の国へなんか行けませんよ」
  「そんなことないよ、私はプロの御者だよ心配するな!」と言って北へ走り去った。

  これは魏の大臣である李梁が魏王に献策した時の話。

  要するに魏王が天下を取るに強大な楚国と戦わねばならないのに、弱小国の趙国を打とうと策を練っているのを戒めて、そんな事をしていれば、ますます楚国からへ離れていくと馬車の話を持ち出したもの。

  結局、大臣の李梁の献策を受け入れ趙国との戦いを中止した。

{戦国策 魏策}より
nice!(0)  コメント(0) 

「盤古」天地を開く (中国の寓話) [中国の寓話]

banko2.jpg                         
  昔むかし大昔、宇宙は混沌としていて物の見分けができなくて、ただ大きなたまごのようだった。「盤古」はこの混沌のたまごの中に生きていた。

  後に、「盤古」が動くたびにたまごが分化しはじめ、軽いものは上に浮き上がり{天}となり、重いものは下に沈み{地}となった。

  天は毎日一丈づつ高くなり、地も毎日一丈づつ厚くなっていった。「盤古」の体もそれにつれて大きくなっていった。こうして1万8千年が経ち、天と地の間が9万里にも広がり、「盤古」の体も9万里の巨人に成長した。

  寿命が尽きて「盤古」が死ぬ時、その息は風と雲に変わり、声は雷鳴に、左の眼は太陽に、右の眼は月に変わった。

  頭と四肢は大きな山となり、血は紅い河となり、肉は田畑となり、頭髪と眉は星となり、毛は草木となり、汗は雨露となり、骨は岩や石となり、精神は鳥獣魚虫のたましいになり……、

  要するに天地間の万物はすべて「盤古」の体から作られたものとなった。「盤古」は自身の一切を投げ打ち、この美しい天地を創造したのであった。
                                    {芸文類聚}より
nice!(0)  コメント(0) 

抜苗助長 [中国の寓話]

naenobasu.jpg                           
  宋国のある男が、畑の苗の生長がゆっくりしているのが気にくわず、少し上に持ち上げて高くした。欲張って全部の苗を持ち上げたのでとても疲れた。

  家に帰り家族に:「今日はくたくたに疲れた。でも苗を持ち上げたのでとても生長したよ!」と自慢した。変に思った息子が慌てて畑に駆けつけると、畑一面の苗がことごとく葉が垂れ、茎が曲がりしおれていた。

  世の中には、この宋国の男のように苗を引っ張って生長させようとする人が少なくない。また、生長に無関心な人は、逆に草取りなどしないで打っちゃっておく。

  これは両方とも「培い養う」事をしないので苗を害するものだ。普通この話は「功を焦って方法を誤る」との教訓話で終わるのだが、背景を書くと……、

  この話は「公孫丑」が「孟子」に{浩然の気}について質問した答えの中で出てくる寓話で、{浩然の気}とは手助けしたり、安直に出てくるものではなく「培い養うことの積み重ねの中から自然に出てくるものだ」と述べたもの。

  なお、広辞苑によると{浩然の気}とは「天地に満ち満ちてある大きな精気とか、物事から解放されて伸びのびした心持ち」とある。

  {孟子 公孫丑上}より
nice!(0)  コメント(0) 

「我不見了」 わしはいったいどこに行った?! [中国の寓話]

  ある小役人は、犯罪を犯した和尚を遠くに護送するため一緒の宿に泊まった。hageatamaa.jpg
  和尚は自分が金を出し、たくみに小役人に酒をすすめ、小役人は酩酊大酔してしまった。

  小役人が寝ている間に和尚は小役人の頭をそっくり剃り、逃亡してしまった。

  朝、目が醒めた小役人は必死で和尚を探したが見つからず、ふと自分の頭に手をやった時、すっかり剃り上がっているのを発見した。

  「おかしいな、和尚はここにいるのに、わしはいったいどこへ行ってしまったんだろう?」と合点がいかず、いつまでも頭を撫でてばかりいた。

{笑賛}より

強取人衣 [中国の寓話]

  宋の国に{澄子}という名前の男がいた。ある時、彼は一着の黒い服を失くしたのに気がついた。rosi1a.jpg
それであちこち探したが見つからず、もしや道で落したかも、と道路に出て探しにかかった。

  その時、一人の女性が黒い服を着てやってきた。彼はすかさず彼女を捕まえ;「わしが失くした黒い服だ、早く脱いで返せ」と言った。

  驚いた女性は;「貴方が落とした服が黒い服であっても、これは私の黒い服だ!私が自分の手で縫った服だ」と拒んだ。

  男は;「早く私に渡した方がいいよ。私の失くしたのは厚い裏地のついた暖かい服だ。
  お前のは薄っぺらな単衣の服だ。私のと、お前のとを交換した方がお前にとっては得なのが分からないのか?」と言って奪っていった。

  (勝手な論理を振りかざし、悪を正当化する輩はいつの時代にもいるもの)

  {呂氏春秋 淫辞篇}より
  

呉越同舟 [中国の寓話]

goetu12a.jpg
  呉の国越の国は絶えず戦ってばかりいる宿敵同士であった。ある日、この両国の人が同じ船に乗り合わせた。当然の如くお互いそっぽを向いていたが、中流域にさしかかった時突然強風が吹き荒れあわや沈没しそうになった。
  
  事ここに至って両人とも恨みを忘れ、それぞれ右手と左手のように互いに助け合って急場をしのぎ、難を逃れた。これは「絶体絶命の死地においてはたとえ敵同士であっても団結し事に当たれ」とのたとえ話。

  この話は「孫子の兵法」にあり、兵を死地におけば、心を一つに固め強力な軍になる。「背水の陣」もまた同じ。写真は「呉越同舟」で遭難しかかった龍虎山の渓谷とされる場所。

  ついでに同じ「孫子の兵法」で兵士を「蛇のように使いこなせ」と言う「常山の蛇」がある。これは「常山」にいる蛇は、頭を叩くと尾で反撃し、尾を叩くと頭で反撃し、腹を叩くと頭と尾で反撃してくる。兵士をこのように訓練しろと言う。このくだりを読むとなぜかジャッキーチェンを思い出してしかたがない。

  {孫子}より
    

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。